大阪ふたり旅【4】コチラはモロ見え、、履中天皇陵古墳(百舌鳥耳原南陵・もずのみみはらのみなみのみささぎ)

仁徳天皇陵を拝観したものの、なんだか煮えきりません。
だって、確かに規模のデカさは判りましたが、、、
古墳そのものは、ほんのチラ見しか出来ないんですから。
そこで、すぐ南側に位置する、履中天皇陵に出向いてみる事にしました。
それは仁徳天皇陵、応神天皇陵に続く日本で3番目に大きな古墳で、
仁徳天皇陵と違って外堀が無い為、本体が丸見えのハズなんです。
ぢゃあ、行ってみましょうか。

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仁徳天皇陵と履中天皇陵の間にあるのが大仙公園。
その園内にも陪塚が点在します。孫太夫山古墳(↑の写真)もその一つで、
小さながらも前方後円墳になっていました。
他にも3つ4つの陪塚を通り抜けるうち、、、
お待ちかねの履中天皇陵が登場!
この古墳は、いくつもの名称がありまして、、
宮内庁的には「百舌鳥耳原南陵」、、
グーグルマップでも同じです。
ウィキペディアでは「上石津ミサンザイ古墳」。。
堺市の公式サイトでは「履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)」という書き方になりまして、、
ユネスコへの登録記事を見ると「百舌鳥陵山古墳」とされています。

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これが履中天皇陵の「後円」部分を真正面から見たところ。
思いっきり目の前で、包み隠さず丸見えになっています。
とは言え、、、やはりジャングル化していますから、
小さな無人島にしか見えません。。
最高部は27.6m。。仁徳天皇陵のソレよりは10mばかり低いです。

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履中天皇陵もキレイな前方後円墳でが、
長い歳月のうちに外堀が消失してしまったのでしょう。
埋葬されている側から見れば、心許ない状態なのでしょうけれど、、
そのおかげで、古墳の本体が見える訳です。
メイワクでしょうが、ゴメンなさいね。。

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履中天皇陵のすぐ北側に、七観山古墳なる陪塚がありまして、
なぜか石垣が剥き出しなんです。
いかにも展望台という風情ですよね。
もしや、コレに登れば履中天皇陵の全容が見られるかと思ったら、、、、

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ムリでした。高さ不足ですね。
「後円」の部分は見えるものの、堀が見えないものですから、
余計にただの密林状態ですよ。

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念の為、仁徳天皇陵の方角を見てみると、、、
堺市平和の塔の向こう側が仁徳天皇陵ですが、
大仙公園の木々に隠され、全く姿は見えません。。
なお、この七観山古墳は、発掘後に消滅してしまい、、、
現在のコレは、同じ大きさに再現されたレプリカとの事です。

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履中天皇陵沿いに歩き、、、
南側、、「前方」の部分のハジッコに着きました。
相変わらず、、、未開の無人島に見えるのもの、、、
やっぱり、本体が見えるのは壮観ですよ。

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この天皇陵も、「前方」部分の底辺の真ん中に拝所がありました。
仁徳天皇陵のソレと、ほぼ同じような造りですね。
堀に面した大奥に鳥居が設けられていますが、
門が閉ざされていて、そこまでは辿り着けません。

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履中天皇は、仁徳天皇の長男で、、、
仁徳天皇が16代目、履中天皇が17代目なのだそうです。
しかし履中天皇は、即位後わずか6年で崩御してしまいました。
フシギなのは、、、
仁徳天皇陵が完成したのは5世紀の中期、、、
履中天皇陵は5世紀の初頭、、、、
つまり、子供の履中天皇の墓のほうが、何十年も早く完成しているんですよ。
なので、両者の墓が入れ替わって伝わったという説や、
いずれも全く別人の墓である説もあるんですって。
天皇陵は宮内庁管理の為に、民間での考古学的な調査が行えず、
現状では、正解を調べようが無いそうです。

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履中天皇の系譜は曾孫にあたる25代武烈天皇で途絶え、、
26代目を継いだ遠縁の継体天皇は、皇居を京都経由で奈良に移した結果、、、
仁徳天皇から始まった大阪王朝の時代は、
多くの古墳群と共に終焉を迎えたのでした。
履中天皇陵の堀越しに、金剛山地の山々の姿が見えました。
あの山の向こうは奈良県になります。
履中天皇は仁徳天皇と共に、縁の薄い新王朝が山の裏側で繁栄する姿を、
それぞれの陵墓の中から苦々しく思っていたのかもしれませんね。

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このあたりが、「前方」と「後円」の境目のクビレた部分。
円墳のほうが墓の主体で、墓のヌシはソチラに埋葬されるそうです。
そして、円墳のテッペンで埋葬祭祀が行われたんですって。
かつて、高崎の保渡田古墳群を訪れた事がありまして、、
そこには、復元された前方後円墳があるんです。
古墳の上にも登る事が出来まして、構造がヒジョーに判りやすかったです。
コチラでも、そういうレプリカを作ってみるのは如何でしょうか。
崩壊してしまった小さな前方後円墳を再現するなんて如何でしょう。

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履中天皇陵を後にして、、、、
再び、仁徳天皇陵のフチまで戻ってきました。
これは、「前方」の左端に寄り添う倍塚、、銅亀山古墳。
この界隈では珍しい、方墳なのだそうです。
地元では、「どんがめ」と言い換えて親しまれているのだとか。

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仁徳天皇陵は、相変わらず外側の堀と土手しか見えません。。
その水は、藻が大繁殖して緑一色。。
どうにも、ウラブレ感ばかりが漂ってますよ。
海外からのお客様、、お願い! 見ないで!
コレはコレで、ワビサビ感が漂てって宜しい?
そうだとイイのですが。。。

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これまた陪塚の、永山古墳と丸保山古墳。
いずれも小さな堀に囲まれた前方後円墳です。
なるほど、こういう古墳をアクセントとして活用すれば、
飽きずに周回できるかと思います。
小さいだけに、造りも判りやすいですし。

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さらに、茶山古墳、大安寺山古墳と小さな陪塚を通過し、、、
出発地点の源右衛門山古墳の脇に戻ってきました。
仁徳天皇陵を一周する遊歩道は2.8km。
履中天皇陵の一周2.2km、そこまでの行き来分の2kmを足して、
都合7kmほどの散歩となりました。

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南海電車の駅で、所用を終えた長男坊と合流し、、
大阪らしくてウマいヒルメシを食いに、
道頓堀方面に出かける事にしました。
駅の雑踏を見ると、、、
ついさっきまで、ジャングルのフチを歩き回っていたのがウソのようですよ。
砂漠のド真ん中と言うイメージのピラミッドも、
実際に現地に行くと、、大都市に隣接していてタマゲるんですって。
イニシヘの王様も天皇様も、なかなか心休まりませんですね。。

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この記事へのコメント

  • ゴリライモ

    こんにちは~

    「もずのみみはらのみなみのみささぎ」
    文字を見ていたらファミコンのドラクエのパスワードを思い出してしまいました。
    「百舌鳥」と書いて「もず」と読みますが、漢字三文字で音が二文字なんで最初は読めないんですよね。
    地名って難しいです。
    2019年10月05日 08:38
  • おぎひま

    ゴリライモさん、コメントありがとうございます。


    「もずのみみはらのみなみのみささぎ」
    なまなか、噛まずに言えないですよね。

    漢字のほうが文字数が多い「百舌鳥」、、、
    これはもともと、
    モズ = 百舌
    だったみたいですね。
    あとから、説明チックに「鳥」をつけたのだとか。
    所説アリです。  
    2019年10月06日 07:39